触ると凍ってしまうのではという程冷たいので誰も近付かないのでした。
お城には一人の魔女が住んでいました。
魔女はとても美しく、頭も良く、
お城で一人色々な研究を何年も何年も繰り返していました。
魔女はとても頑張り屋でしたがそれを知る人は誰もいないのでした。
誰もが知るのは、冷たい氷の城に住む怖い魔女という事だけでした。
しかし魔女はその事も知りません。
ある日魔女は研究の合間のふとした時に、埃被った鏡を覗き込みました。
「なんじゃあこりゃ・・
昔は小綺麗に着飾っていたのに今は何の手入れもしてねーから、髪はボサボサ顔もひでぇ。
これじゃ性別も美しさもわかんねーよ」
魔女は溜息を零しました。
「綺麗なもんを作ってんのによ・・
よっしゃーいっちょイメチェンしてみっかあ」
魔女はそう決心してまずは鏡を綺麗に磨きました。
何をするにも鏡が汚いと全て狂ってしまうからです。
そして開けなくなっていた洋服ダンスを開きました。
「チェンジ!」
魔法の言葉を鏡に向かって投げました。
魔女の黒くてよれよれの服はあっという間に素敵なドレスに変わりました。
魔女はまた昔のように美しく変身しました。
その頃、とある少年が城のすぐそこに来ていました。
少年は村一番の自慢屋でした。
「あいつら見てろよ・・今に魔女をぶっ殺してきてやる!」
少年は次の自慢の材料を氷の城の魔女に決めたようです。
早速少年は、高くて冷たい城の城壁を登り始めました。
手袋と滑らない靴は装着済みです。
元々腕に自信はあるので少年はどんどん城壁を登っていきます。
そしてとうとう高い城壁の向こうへ辿り着く事が出来ました。
「おらー!覚悟しろ魔女!」
「うおっなんだ?!」
しかし少年が見たのは、想像とは全く違う美しい女。
少年はその美しさに思わず息を飲みます。
「なんだ・・人間の子供かあ。びっくりさせんなよ」
「あ・・あんたは?」
「私は魔女だよ。この城で研究してるんだ。」
少年はイメージの違う魔女をぽかんと口を開けて見ていました。
「そんな事よりお前は何しに来たんだ?」
魔女の言葉で少年ははっとなりました。
「そ、そうだ!俺はお前を倒しに来たんだ!」
「私を?どうして」
魔女は不思議そうに小首を傾げます。
ただ研究をしていただけで、倒されるような事をした覚えがないからです。
「それは俺の名をあげるためだ」
「名だって?」
「お前を倒して俺は強いとかいうレッテルを貼られたいんだ!」
「訳解んねーよ!なんでそんな事の為に」
魔女は、自分が倒されるような事をした覚えなど一切無いと主張します。
しかし少年は聞く耳をもちません。
「私は今まで純粋に研究してきたんだっつの!ドレスだって今日久々に着替えたんだ!」
「嘘だ!そんな言葉に騙されるか!」
「嘘じゃねーよ!現に私はお前に危害なんかくわえてねーだろ!?」
しかし魔女の最もな言葉も少年の耳には届きません。
少年は予め用意してきたナイフを取り出しました。
「魔女め!覚悟しろ!」
「や、やめろーッ!」
魔女が叫んでも少年は容赦無く魔女に切り掛かってしまったのです。
少年は何より自分の思考を正当化させるのが得意でしたから、
例えば魔女が目を奪われる程美しくてもそれは魔術だの罠だのと思うのです。
そうなのですが、魔女は自分に魔法をかけたのも久しぶりで
それは残酷な魔法とは全く違ったものなのです。
「やった・・魔女を倒したぞ!」
少年は叫びました。
魔女は胸にナイフが刺さったまま床に倒れました。
傷口から真っ赤な血が流れ出て、床を同じ色に染めていくのでした。
「・・少年、・・何故お前に真実が・・・解るというんだ」
魔女は細々とした声で言います。
「これじゃ殺人じゃねーか」
魔女の言葉に少年は目を見開きました。
魔女の身体は赤い血を噴き出し、そこに倒れているだけなのです。
灰になるでもなく、跡形も無く消滅するでもなく、
ただ死ぬという事実が迫ってくるのを横たわって待っているだけなのです。
「・・少年、・・私が怪物だとでも・・・思ったのか・・?」
魔女はただの生き物でした。少しばかり奇跡を扱えるだけの。
後は少年とはなんら変わりは無いのです。
「だって、お前は悪い魔女で・・」
「・・でも、怪物も善人も血は出るし、傷付ければ、死ぬぞ?」
何と言うことをしてしまったのでしょう!
少年は殺人をしてしまったのです!
「そんな・・!魔女、どうか死なないでくれよ・・!」
途端に少年は恐ろしくなりました。
魔女を助け起こしましたが、もう確実に助からない事は自分でもよく解っているのです。
「・・少年、・・早く逃げろ・・・私の血に触らずに・・」
少年は魔女を離したくは無かったのですが仕方なく言う通りにしました。
何が起きるかなんて少年には解りはしなかったのでしょうけど、何と無く嫌な予感はしたのです。
「うわあああん!」
少年は泣きじゃくりながら城から飛び出しました。
一方魔女は、一人冷たい床の上で静かに目を閉じたのです。
魔女の身体から流れ出た血は、部屋中に広がりました。
そしてなんと!
その血は熱を帯びはじめ、段々熱くなってきたのです。
その熱で、氷で出来た床が溶け始めました。
そしてみるみる内に、お城は跡形もなく溶けて湖の水になってしまいました。
お城は魔女の魔法だったのです。
「城が溶けてしまった・・なんてことだ!俺のせいだ!」
少年は一人湖を見つめながら後悔しました。
もうあの美しい城も魔女もどこにも見当たりません。
少年が殺人をしてしまったからです。
それでも魔女は少年を怨んでなどいないでしょう。
何故なら少年が、己の中の善を善としてやった事だと知っていたからでした。
だから少年に逃げろと言ったのです。
しかし少年はそう思う事が出来ないのでした。
今まで何より強かった正当化が城と共に崩れてしまったように感じました。
少年は湖を覗き込みました。湖の透明な水が、赤く染まっていました。
魔女の血です。
「俺は最低だ!」
少年は叫びました。
血は段々と薄れていってやがて元の透明に戻ってしまいました。
少年は虚しさでいっぱいになりました。
しかし、どんな気持ちになろうとももう取り返しのつかない事なのです。
どうしようもない事。なので少年はその場で地団駄を踏みました。
出来る事と言えばそれだけなのです。
湖の水は、氷の城が溶けたせいか、いつもより少々冷たく感じました。
少年は思いました。
どうして魔女は氷の城なんて作ったのだろうか?
彼女は何の研究をしていたのだろうか?
そもそも名前は何と言うのだろうか?
沢山沢山知りたい事が浮かんだのですが、どれも答えは簡単でした。
「魔女はもう死んでしまったんだ!」
そしてまた涙が出て来てしまうのでした。
やがて少年は知るのです。
初恋という言葉を。
それは酷く冷たくて、切ってしまえば熱すぎて溶けてしまうものだと。
そして残るのは、残骸でもなくただの後悔だと。
そして少年は目を閉じるのでした。
ただ静かに閉じるのでした。
その心が段々と冷たくなっていくのを感じながら。